名入れボールペンは名入れペンネットへ!記念品に、ギフトに、プレゼントに喜ばれる丁寧な仕上がり

0120-164-264 年中無休9:00~18:00
  • Home>
  • HOME>
  • 技術承継のおはなし

技術承継のおはなし

2024年8月1日

パッド印刷の技術承継中!

父が「会長ブログ」にて一生懸命ブログを書くようになって、

どこか安心してしまって社長ブログから遠のいてしまいました。

大変ご無沙汰しております。

 

会長ブログの記事にもありますが

「雨降って地固まる」80歳の肺炎で緊急入院から生還して5週間ぶりの今日です。

6月初旬に父が肺炎により緊急入院

 

GWもお盆もお正月でさえ1日も休まず出勤していた父が

3週間も会社から姿を消した、とんでもない一大事です。

 

退院して1か月以上が経ち、父はすっかり元気になって

わたしもようやく落ち着いて仕事ができるようになったので

久しぶりにブログを書いています。

 

父は風邪をひいても1日くらいで治してしまうのですが

入院の1週間前から風邪をこじらせてしまっていて、

とても心配な状態が続いていたんです。

ちょうど処方薬が切れる前にもう一度かかりつけ病院で診察してもらったらどうかと連れて行ったところ、

「チアノーゼが出てるのでレントゲンを撮ったら

肺炎を起こしているし、血中酸素飽和濃度が90%を切っています。

大きな病院に紹介状を書きますので、すぐに行ってください。」

との医師の言葉にびっくりしながらも急いで向かいました。

 

父に何かあったらどうしよう。

果たして自分で印刷ができるのだろうか。

会社においても自分の人生においても

父のいない日々を考えるだけで

未来が真っ暗に感じ、不安な毎日がスタートしようとしていました。

(実際には不安なんて抱えるほどの余裕もなく必死だったので、逆に元気いっぱいでした)

 

父が風邪をこじらせてから、

名入れ印刷がストップしていて、納期がギリギリなものが増えていたんです。

 

振り返ると奇跡のような不思議なことがたくさん起こっていて、

一番大きかったことは、緊急入院の2日前に、

万が一父が印刷ができない状態になったら、と

妹とわたしで印刷の準備から片付けまでを一通り習うことができたことです。

そのときは父も既に酸欠だったようで

ずっと息が切れていて、フラフラしていて、話しかけても反応が鈍い状態でした。

(もっと早く気づいてあげられれば良かったです)

 

でもここで聞けていなかったら、

出荷を完全にストップしなくてはならない事態になっていました。

 

「インクは生き物」

と父がよく言う通り、

湿度や気温、ペンのそれぞれの表面状態など

ほんとうに様々な要因で印刷がうまくいったりいかなかったり

日々の条件で変化します。

 

父が不在の3週間は、毎日いくつも奇跡が起きました。

「なんでうまく出来たんだろう」

と自分が信じられないくらい、綱渡りではありながらもスムーズに進めることができました。

パッド印刷の技術承継中!

毎回版や型を変える個別名入れも丁寧に綺麗に仕上げられるように!

 

分からないことは父に電話をして毎日聞いていました。

昨日は元気だったけど、今日は声が出ていないな、など

父は良くなったり悪くなったりを繰り返していました。

 

ただ、パッド印刷機はとても複雑にできていて、

調整するつまみがいくつもあるので、音声のみで説明するのがとっても難しかったんです。

 

1週間くらいしてからFacetime(ビデオ通話)ならもっと楽に説明できるのでは?と

やっと気づいて、それからはとても簡単に教えてもらうことができました。

我ながら余裕がなさ過ぎて気づくのが遅く、笑ってしまった出来事です。

 

毎日何度も通話していることで、

父も会社のことを忘れることなく「必ず元気に復帰しなくては」と思ってくれたのではないでしょうか。

わたしも、どうか元気に父を返して欲しいと、祈るように一言一言を発していた気がします。

疲れ切った自分の声は封印し「元気」に変換して励まし続けました。

 

実際は、遅くに仕事を終え、

自宅に着いた頃には意識も朦朧として

わたしもそのうち倒れてしまう…と不安に思うほど

とにかくその日一日をどうやり切ったか覚えていないことが多かったです。

 

でも何より妹が本当に心強い相棒で、

わたし一人ではやれないことも、

妹がいればできる!と強い気持ちになれて

あらためて家族の大切さを知ることができた期間でした。

 

そしてスタッフさんもわたし達を気遣ってくれて

わたしが印刷にかかりきりになる分、やれることを増やしてくれたり

遅くまで働いてくれました。

 

父の不在は、

みんなで心をひとつに会社を守り切り、

名入れペンネットの転換期とも呼べる、とても大きな出来事になりました。

 

パッド印刷の技術承継中!

 

手は毎日インクまみれです。

強い溶剤をじゃぶじゃぶ素手で触るので、

肌は荒れまくりですが、セルフで楽しんでいるジェルネイルは剥がれないので安心です。

(ジェルネイルしか勝たん!)

 

インクや強い溶剤を吸い込むので

頭もガンガン割れそうに痛い毎日でした。

(今はマスクをしていればそんなに痛くならないほど慣れてきました。怖)

 

パッド印刷の技術承継中!

一度アルコール溶剤が手を伝ってapplewatchにかかってしまったのですが、

揮発性だし放っておけばいいやと作業を続けていたら

急に腕がちりちりと熱くなり出して、

よく見たらapplewatchケース(プラスチック製)が溶けていました!

ちょっとのやけどで済みましたが恐怖の瞬間でした。汗

 

事業承継って最近の社会問題としてあちこちで聞きますが、

ものづくりのまち鯖江にいたっては、技術承継が要です。

 

わたし達親子も、何年も前から技術承継をしないとと思いつつ、

「お前にはできるわけない。教えられない」と言われるほど意見がぶつかることが多く

何度も挫折してきました。

父には父の、わたしにはわたしの想いがあり、

どちらも会社の未来を思ってなのに、衝突してしまうんですよね。

創業者と後継者は特に難しいんだと思います。

父とわたしは仲が良かったのに、です。

 

父の不在を経たことで、なんとかクリアできて

やっとパッド印刷初心者になれたわたしです。

 

今は自分たちなりの改良も重ねつつ、

父と一緒に印刷をしています。

毎日が修行ですが、とっても楽しいです。

 

パッド印刷の技術承継中!

淡いピンクなどのインクの調合などもやっています。

パッド印刷の技術承継中!

地元、福井からのご注文も励ましになりました。

 

自分がパッド印刷に携わる中でつくづく思うことは、

父がどれだけの時間をパッド印刷に費やしてきたかということです。

 

このペンの型はないかな、と探してみると必ずあります。

治具も汎用的に使えるように何度も練られた工夫がちりばめられていて、

一つひとつの道具に心がこもっているのが伝わります。

 

父の今までのがんばりがあちこちに見えることで、

あらためて父の仕事を継ぐという重みを感じています。

 

こんな大きなことに気付けたのは

父の入院という、一大事があったからです。

 

一件のご注文もお断りすることなく、

乗り越えられたから言えることですが、

お父さん、

入院してくれてありがとう。

そして元気に帰ってきてくれてありがとう。

 

一緒に頑張れる幸せを忘れずに、

名入れペンネットを育てていきます。

 

また印刷奮闘記を書けるといいなと思っています。

 



最新の投稿を見る

平池 牧子 について

株式会社ヒライケ 代表取締役。 短大時代にアメリカへ留学し英語を学んだのち、生まれ育った福井県鯖江市に帰省し、就職した貿易会社で英語を活かし海外出張も多く経験する。その後独立し、グラフィックデザイン業を12年営んだころ、名入れペンネットを運営する父を支えたいと、2015年株式会社ヒライケに入社。大切な人を想う気持ちを伝えるお手伝いができるこの仕事が大好きで、年間20万本の名入れボールペンを全国へお届けしている経験から、喜ばれる名入れギフト、心が伝わる工夫、エピソードの引き出しは無限大。あたたかなやり取りを心がけ、お客さまの声に丁寧にお応えしている。